福田 華 Follow

Writing

ヘリポート 夏-vol.1


雷都
水平線の見えない街にも
夏はくる
湿度が溶けた空気に体がほどけ
木陰に避暑を望むばかり

暮れなずむ空は
雷光に阻まれ
瞬く間に大きな水溜まりを作る
夏がくる
ここはこうして海がなくとも暑さにかまけた湖が光る


トカゲ
アスファルトには動きの鈍いトカゲがひとり
路頭に迷っているようだ
焼けた地面に漕ぎ出す二歩目を
踏み出せないでいるようだ

風そよぐ中
影はどこか いそいそと走る私の自転車
暑さから逃れ 小さな力で進む

トカゲのしっぽをぷつりと踏んづける
道端の草が揺れた
私は自転車を漕ぐ足を止める
風は止まり太陽が私をジリっと照らす
ちぎれたしっぽが居心地の悪そうにちょろちょろと動く


花の喫茶日記
宇都宮市「VAN」

 栃木県の喫茶店を巡るようになったきっかけの店「VAN」。2020年9月に初めて訪れてからいつでもVANが頭の端にいた。

 高校進学を機に上京、大学も都内の大学に進学し、東京での生活は7年が経っていた。コロナで大学の授業がオンラインになり、“東京に住む理由がなくなったから”という消極的な理由で地元である宇都宮に戻ってきた。それが昨年の9月の話である。当時の私はかなりショックを受けていた。15歳から23歳までの私の生活のほとんどすべてが東京にあった。そのため友達も遊び場も居場所も何もかもが東京にある気がしていた。中学までの同級生や友達はいるけれど、この7、8年で私は大きく変わった。そのため“地元へ帰る”という一見易しそうな行為が私にとっては一大事であった。

 喫茶店という場所を好んでいた。一人で行けば、コーヒーを飲み、タバコを吸いながら本を読んだり、喫茶店のお母さんやマスター、常連さんと話す。友人と行けば尽きない話を時間の許す限りする。どこの喫茶店へ行ってもあったかい空気があった。そこにいれば誰であるかなんてどうでもよくて、何をしているかすら誰も気にせず、その時間だけを楽しむことができた。だからかなんとなく、飾らない自分が存在できる場所なような気がしていた。
 宇都宮に帰ってきてすぐに喫茶店を探した。誰の子供でも、兄弟でも、友達でも、恋人でもない“わたし”としていられる場所を見つけたかった。そうして、見つけた店がVANだった。

 夏の盛りが過ぎ、秋が始まろうとしていた9月下旬。湿度が残り、少し歩くと汗ばむけれど長袖を選ぶような日だった。最寄駅から電車に乗り、JR宇都宮駅で降りる。西口を出て大通り沿いを5分ほど步くと左手にこぢんまりとしたお店が目に入る。Aだけが赤字の「COFFEE SHOP VAN」という看板。茶色のレンガ造りの壁に白い縁の窓と扉。明らかに歴史のありそうな佇まい。緊張するほど素敵な外観に、よしと意気込み白い扉を開けた。
 店内は、二人掛けのテーブル席が4席、カウンターは3席。小柄なお母さんがひとり、「こんにちは。」と出迎えてくれた。一番奥のテーブル席に座る。肌につく長袖をまくりながら、やはりホットコーヒーが飲みたいなと思い、ブレンドのホットを注文した。「タバコ吸ってもいいですか。」と尋ねると、花柄の四角い灰皿を出してくれた。


 コーヒーを待つ間、そわそわしながら店内を観察する。いたるところにVANというロゴの入ったものがあった。壁には大きなタペストリー、お洋服や、ショッパーのようなビニールバッグなど。それらについて話を伺うと、「VAN」という1960年代から1970年代にかけて流行した日本のファッションブランドのものだという。お母さんの好きが高じて店名も「VAN」にしたのだとか。
 コーヒーがやってきた。白い陶器にピンク色の花が描かれたカップ。それと同じ柄のセットのソーサー。ミルクとお砂糖、ティースプーンとクッキーがひとつ、ソーサーにめいっぱいつまれていた。正直、コーヒーについての知識がないので味について語ることはできないが、おいしい。

 コーヒーを飲みながらまたお母さんに話を振る。いつも決まって“いつからやっているのか”という質問をする。今回も「いつからやってるんですか。」と尋ねた。するとお母さんは天井に貼ってあるミッキーが描かれたポスターを指しながら「ディズニーランドの開園と同じなの。1983年。これは開演当時のポスターなんです。」と教えてくれた。驚いた。長いことここでやっているんだろうなという想像はしていたが数字を聞くとドキッとする。この空間には37年分の会話、コーヒー、タバコとお母さんの時間がいる。どんなことがあったのだろうな、と思った。


 VANはお店に立つお母さんがそのお母さまと始めた喫茶店。お母さまが亡くなり、今はひとりで切り盛りしているそう。ほぼ年中無休でやっていたが、常連さんに促され日曜定休に変更。コーヒーと紅茶の他にランチメニューがいくつか。ランチに関しては常連さんすら知らないほどの隠れメニュー的存在らしい。

 窓際にJames Deanが描かれた鏡が置かれていることに気が付いた。カウンター上の天井付近にはOscar Pertersonの大きな壁かけ。映画とジャズが好きなのかな。見落としそうなほど空間にマッチしていた。店内にはエルビスなどのご機嫌なオールディーズがCDプレーヤーから流れる。「音楽お好きなんですか。」と尋ねると、「このCDはお客さんが置いてったものなの。」とそれほどこだわりはなさそうだった。他には、「珈琲産出地図」と書かれた古そうな地図。テーブルや椅子は統一されており、床は赤色のタータンチェック柄。何をとっても少しずついやらしくないこだわりが見える。


 そして、お母さんの身なりにも目が留まった。内巻きのボブに黒のカチューシャを付け、前髪は短め。耳周りは刈り上げてすっきり。フープの大きなピアスが目立つ。素敵なお化粧。丸襟のブラウスを首元までしめ、チェックのスカーフを襟と首の間にキュッと結んでいる。紺色のポロのエプロンをかけ、その下にはプリーツの入ったロングスカートを履いていた。足元は茶色のショートブーツに緑色の縞模様の靴下。指先にはグレーのネイルと煌びやかな指輪がいくつか。なんて丁寧にお洒落をしているんだろう。私もお洒落は好きだけれどこんなにも丁寧さを感じる格好はできていないなと少し恥ずかしくなった。その日の私は人の絵が描かれダボっとした白いTシャツにベージュのチノパン。靴は赤色のハイカットのコンバースというなんともラフな格好だった。こんなに素敵な場所に素敵な方がいるのなら私も気合を入れてお洒落をしてくればよかった。しかし、お母さんに「お洋服がとても素敵ですね、あれもこれも…」という話をしたら「あなたもとっても素敵よ。」と褒められてしまった。お互いのお洋服のどんなところが素敵かという話をしばらくした。
 ずっとこういうことがしたかった。今だけのこの瞬間、互いの目に映るものの共有ができて、そこから会話が弾んでいく。会話が生まれていく感覚。オンライン上で顔を合わせることは便利だから、ないよりはあった方がいいと思うけれど、こういう他愛のない時間は何にも代えがたい。お母さんのことを何も知らないはずなのに、つむじからつま先まで見えてしまって彼女の丁寧さを肌で感じて私はこの人のことを大好きになるんだろうなと確信した。というか、初対面ですっかり好きになってしまった。そうして、次来るときには思いっきりお洒落をして来ようと決めた。”お洒落をしていきたい場所”を見つけられたことがとても嬉しかった。

 夏の宇都宮は毎日のように夕立がやってくる。そして雨が降るたびに雷が鳴る。「雷都」という異名が付くほど雷が鳴る。東京にいたころは雷の音が聞こえるたびに宇都宮を思って嬉しさすら感じていた。日常に雷が戻ってくると、何てこと思わないんだろうなと思っていたけれどいまだにワクワク、そわそわする。
 2019年の10月に大型台風が日本列島に上陸し、日本各地に大災害をもたらしたのは記憶に新しい。宇都宮も同じく被害を受けた。そして、VANもまた被害を受けたそうだ。JR宇都宮駅のすぐ前には一級河川の田川という川が流れている。水位は高くなく、川べりを歩ける歩道も整備されている。余談だが、私はその歩道を歩くことが好きだ。以前そこで犬連れのおじさまに遭遇したことがある。前方を步く彼らとは少し距離があったが、どうにかその犬を触れないかと歩みを調節していたところ、犬の方が気を使い私を待つなどしておじさま、犬、私という横並びでしばらく歩いた。もちろんおじさまとは適当な世間話ができた。
 話に戻ると、その大型台風の影響で田川は氾濫。川からほど近いため、VANの店内にも水と泥が流れ込んだ。ひざ下くらいまでの水位になったそうだ。水が引いても泥などが残った。素敵な赤色のタータンチェック柄の床もすっかり汚れてしまったそう。その後、近隣の方と常連さんとで数日かけて掃除をし、無事にお店を再開することができたという。困っている人を助けるというあたりまえの行為だが、勝手にお母さんの人へに対して丁寧な態度が店の再開につながったのだろうと想像した。

 夏にまつわるVANの思い出は晩夏に初めて訪れた日のことしかまだ持っていない。これからの季節、次にVANを訪れるときにはきっと、私はアイスコーヒーを頼むのだろう。一体どんな素敵なグラスが待っているのか、そして夏のお母さんはどんなお洋服を身にまとうのか、私はどんなお洋服を着ていこうか、思いは膨らんでいくばかり。素敵なお店に出会えたことにホクホクしつつ、お母さんのように身なりから人への態度、私が触ることができるすべてに丁寧でいたいと気を引き締める。


                                2021年5月15日

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