以前のお仕事 - 回顧録 1-

OVERVIEW

情報誌フリーマガジン編集長の時代

20代から30代、情報誌編集部の編集長として、編集企画統括、広告制作、営業サポート、広報マーケティング、編集・制作・ディレクション・ライティング等、さまざまな経験をさせてもらったフリーマガジンです。

↑↑ 一番左の焼肉パーティーしてるメンツが初期フルメンバーです。懐かしい。。

著名な芸能人さんや漫画家さんなどにも参加いただき、なかなかのボリュームで制作。当時はフリーマガジンのクオリティではないなと勝手に自画自賛しておりました。

イラストレーター、デザイナー、カメラマン、スタイリスト、ヘアメイク、モデル、営業の方々、経営陣もろもろ全てに恵まれて

最盛期には
・発行部数:約23万部

・ページ数:160頁以上(フリーマガジンですよ!タダですよ!)

広告売上:月間 5000万円以上?(純利かな?もっと上だったかも…)ありました。

少人数で制作していたため、編集長というのも名ばかりで、編集も企画もディレクションも取材もライティングもクライアント対応もクレーム対応も、すべてやっておりましたので、本当に忙しくて忙しくて大変でした。

とにかく「おもしろい読み物」「他にないもの」「フリーペーパーだけどフリーマガジンと呼ぶ」を目指して頑張っていました。

その甲斐があり、テレビ出演させていただいたり、大手企業様にも広告出稿を多数いただくなど、貴重な経験を数多くさせてもらいました。

立ち上げから参加でき、表紙デザイン企画、特集や記事企画・構成など、本当に自由気ままにさせていただき、すべてにおいて感謝しかございません。若さと感覚だけで突っ走っていた夢のような時間でした。

この時期に出会った方々のおかげで、今の私があります。
みんなそれぞれの分野で活躍中。

それから映画関係者や音楽関係者の方々には頭が上がりません。感謝。

映画の特集はなんども行なっており、たくさんの著名な監督さんや有名俳優さんにお会いしましたが、私個人的にはミニシアターが大好きで、在りし日の若松孝二監督のインタビューなど、なかなかぶっ飛んだ内容でマニアの方々に好評を得ておりました。


それにしても「MAD」って名前は……私が命名したんですけどね。。

誰も止めなかったのよね。

今となってはメチャクチャ恥ずかしい。