実りある恋

OVERVIEW

【創作実習課題/小説】テーマ:仕事(仕事をしているシーンを描く)/400字詰め原稿用紙10枚以内。女性同士の恋愛を書くことが好きだと気付いたきっかけとなる作品です。展開としてはありきたりだなと思うので、いつかリメイクしたい作品の一つです。

YEAR 2020

 りりりり……。スマホのアラームで目が覚める。やけに音がでかくて動悸がした。午前九時。寝てしまった時のために目覚ましを設定していたようだ。数時間後の自分に気遣いができるくらいの余裕が数時間前の私にあってよかった(音量を考慮する余裕まではなかったが)。枕にしていた右手の感覚が鈍い。髪はぼさぼさ、デスクに向かい椅子に座って作業をしたまま眠っていたせいで体のあちこちが凝っている。重たい体をどうにか動かして、急いでパソコンの電源を入れメールアプリを開く。寝落ちる直前まで作成していたデザインが無事に依頼主に送信されていたことを確認した。本当は数日前に完成していたものだったが、印刷日の前日である昨日、急な全面的な修正の依頼が入ったために徹夜を余儀なくされた。なんとかやり遂げた達成感と、別の仕事の締め切りが迫ってくることへの焦燥感にどきりとした。

ともかく、それには少し体を休めてから取り組もうと席を立ってリビングに向かうと、真っ先に冷蔵庫に向かい牛乳パックを取り出してガラスのコップに注ぎ、ぐびっ、と一気飲みする。これでやっと私は朝を始められる。バナナを一本ちぎってソファに移動する。目の前にあるテーブルに“朝ごはんは自分で用意してよね! 陽菜”と書いてあるメモがあった。陽菜ちゃんはいつもなら私の分の朝食もこのテーブルに用意してから家を出て行く。それがなかったのは昨日の言い合いのせいだろうが、それでもこうしてメモ書きを残してくれるところがなんとも可愛らしい。陽菜ちゃんが帰ってくるまで時間はたっぷりある。どうやって和解するか考えよう。

バナナを食べ終えると歯を磨き、シャワーを浴びる。風呂場にはシャンプー、トリートメント、洗顔料、他にも色々と美容成分や香りにこだわって陽菜ちゃんが選んだものが並んでいる。私がシャワーを浴びている間も、陽菜ちゃんはコスメカウンターで美容部員として働いている。別々の場所で働き、離れて生活をしている間も、私たちの髪やからだ、服からは同じ香りがする。私たちは、一緒に生きているのだ。

 昨日はどうして言い合いになったんだか。私と陽菜ちゃんは普段から愛し合っていたと思う、多分。言い切れないのはいつも彼女にしてもらってばっかりで、私が陽菜ちゃんに何かをしてあげたという自信がないから。してあげる、という表現は正しくないかもしれないが、陽ちゃんほど相手のために時間を割いていなかったのは本当だ。昨日も、仕事のせいとは言え機嫌が悪かった私が陽菜ちゃんを慮れなかったことが悪かったのだろう。

 

 昨晩は帰宅してきた陽菜ちゃんが珍しく私の部屋に入ってきた。邪魔をしたくないから、と普段の陽菜ちゃんは自分から私の部屋に入ろうとしない。

 「今週の土曜は休みが取れたの。久々にデートしようよ、莉子」

 「ごめん、仕事の依頼が立て込んでて今週は厳しいかな」

 「莉子、先週もそう言ってたよね」

 「急な修正とか新規の依頼があって……ごめんね」

 六月はボーナス期を前に様々な用途のデザインの依頼が多く、数少ない顧客を逃さず新たな顧客を獲得するためにも普段よりも多く仕事に時間を割いていた。

 「最近全然一緒に過ごせてないじゃん。私が出かける前は寝てるし、帰ってきたらずっと部屋に閉じこもって作業してるし、ご飯だって一緒の時間に食べれてない。本当はもっと一緒にいたいよ」

 「ごめん、でも、私だって本当は陽菜ちゃんと一緒に過ごしたい」

 「私なんかのために時間は割けない?自分の仕事がそんなに大事?」

 “なんか”なわけがない。陽ちゃんは私にとってとても大事な存在だ。それでも、二人で生活するために私なりに努力しているつもりだった。これまで抱えていた不満をこぼす陽ちゃんに、私はうまく言葉を返せなかった。

「陽菜ちゃんにはわからないよ」

見た目も仕草も華やかで、百貨店のコスメカウンターで働いている陽ちゃんに、髪も体も

ぼさぼさで、一人で閉じこもってパソコンに向かっているフリーランスのイラストレーターをしている私の仕事のことなんか。

「莉子だって、私のことわかってないくせに!」

 両目に涙を溜めながらきつく怒鳴ると、私の部屋のドアを勢いよく閉めて出て行った。

 

とりあえず、今日の夕食は陽菜ちゃんが好きなオムライスを作ろうと決めて浴びっぱなしだったシャワーの水を止めた。陽菜ちゃんが帰ってくるまでに、リビングで掃除機をかけたり、洗濯物を干したり一通り家のことをやり終えてから、自分の部屋に戻り、昼食も食べずに仕事に取り掛かった。自分のサイトに掲載するためにこれまで制作してきたデザインのコラージュと新規のイラストを二点、線画を描き起こしてから配色、仕上げまでを終え、抱えている仕事の納期調整のメールを送ると、午後六時を過ぎていた。陽菜ちゃんが帰ってくるまでにオムライスを作るんだった、私は慌てて部屋を飛び出して夕食の準備を始めた。

 

十九時を過ぎると、ドアの鍵が開く音が聞こえてきた。陽ちゃんだ。

「おかえり」

 キッチンから廊下を覗きながら言う。

「……ただいまぁ」

目を合わせず気怠そうな声でそう言って陽菜ちゃんはパンプスを脱いだ。

「ん?もしかして今日の晩ごはん、莉子が作った!?」

玄関まで匂いがするのだろう、換気扇を回してはいたんだけど。ついさっき焼き上げたふわふわのオムレツを少し焦げたケチャップライスにかけたばかりだった。陽菜ちゃんほど上手くはないが、私だって全く料理ができないわけではない。

陽菜ちゃんが廊下を小走りで駆けてやってくる。

「うそ、オムライス!?」

「そうだよ、陽菜ちゃん好きでしょ?」

「大好き!」

私より背が高くて見た目も美しいのに子供みたいに笑う陽菜ちゃんが可愛らしくて、私まで頬が緩んでしまう。

「陽菜ちゃん、昨日はごめんね」

「莉子……。私も、ごめん。莉子の仕事が不規則なこと知ってたのにあんなこと言って」

「よし、まずはご飯食べよっか。ケチャップで名前書いてあげる」

「やったぁ、食べ終わったら一緒にお風呂入ろ」

 有無を言わさない悪戯っ子のような表情に私は絆されてしまった。

 

この部屋を借りるときに陽菜ちゃんが一番こだわったのは洗面所と風呂場だった。洗面所は二人が並んで歯を磨けるだけの広さがあり、湯船は成人女性二人がすっぽり収まるサイズだ。そして入浴中も美容に気を誓っている陽菜ちゃんは一度お風呂に入ると出るまでが長い。陽菜ちゃんがお皿を洗っている間に私がお風呂を洗い、お湯を張った。脱衣場で二人して服を脱ぐ。艶やかで透明感のある白い陽菜ちゃんの肌を見て、ハリがなく部屋にこもりっぱなしで不健康そうな自分の肌と比べて勝手に落ち込んでいると、「なにジロジロみてるの、莉子のすけべ」と陽菜ちゃんは楽しそうに笑っていた。

「なんでもないしすけべでもないから!」と言って先に風呂場に入った。軽くシャワーを浴びて身体を洗い流す。私が普段から使っているクナイプのバスミルクを湯船に十秒垂らしてかき混ぜ、そこに熱いシャワーを当てると白く泡立っていく。このバスミルクは「莉子はイチジクの香り好きそう」と陽菜ちゃんが買ってきたものだ。先に湯船に入るとクレンジングを終えた陽菜ちゃんが入ってきて、シャワーを浴び始めた。私は優しくほのかに甘い乳白色のお湯に浸かりながら、「私の周りには陽菜ちゃんが選んでくれたものばかりだ」と呟いた。

「私が好きなものを莉子にも押し付けちゃってるの、負担になってない?」

「押し付けるだなんて、むしろ、あなたが好きなものを私と共有してくれることが私は嬉しくてたまらないのに」

身体と心が芯から温まっていく。「そう」と嬉しそうな声がした。

陽菜ちゃんは私と向かい合うようにして湯船に座ると、私の両手を自分の両手に絡めて泡だらけの水面から上げ、手を結んだり開いたり、にぎにぎしている。

「最近肌がくすんでいるみたいだから、私が普段使ってるスクラブとボディクリーム、莉子も使ってみなよ」

「うん、ありがとう」

「面倒くさがってやらなくなるようだったら私が毎回塗ってあげる」

「いい!私もこれからはちょっと頑張ってみる。陽菜ちゃんがいつも肌を気遣って美を磨いているのに、私がいつまでもこんなんじゃ吊り合わないし……」

「何よそれ、私と吊り合わないって思ってたの?心外だなー。美容は私の趣味みたいなものなの、莉子に強制したいわけじゃないよ」

「そんなんじゃなくて、陽菜ちゃんと並んでも恥ずかしくない女性になりたい、的な……」

「あっはは、莉子ちゃんは初心でかわいいなあ」

年下に初心と言われるとは。恋愛に慣れていないのは本当だけれど。それにしても、久しぶりに“莉子ちゃん”と呼ばれた気がする。

「ねえ、いつになったら陽菜って呼んでくれるの?」

私はなんだか気恥ずかしくて彼女のことを「陽菜」と呼べずにいるのに対して、二歳下の陽菜ちゃんは私のことを「莉子」と呼ぶ。私が呼び捨てでいいよ、と言った時から素直にそう呼んでくれているのだ。右手だけ解いて、私の濡れた長い髪を手櫛で梳かそうする彼女の手は爪の先まで美しく整えられている。今日もこの手で何人ものお客さんの顔を彩ったのだろうな、と思うと心臓が跳ねた。さっきまで不特定の誰かのために動いていたこの手を、今は私が独り占めしている。

「ねえ」

「ああ、えっと、恥ずかしいからそのうち……ね」

「えー?お試しでいいからさ、陽菜って呼んでみてよ」

左手は繋いだまま、陽菜ちゃんは右手を髪の毛から顔の前に持ってきて、人差し指で軽く上唇に触れる。

「ひ、な」

とく、とく、とく、と心音が大きくなっていく。顔が熱いのは湯船に浸かっているせいで、照れているからではないのだ、と目線で訴えてもきっと無駄だ。

「このままだとのぼせちゃいそうだね」

「……誰のせいだと思ってるの」

「さあね」

結局、私は今日も陽菜ちゃんにめろめろなのだ。