好きな人がママチャリ漕いでた

OVERVIEW

【創作実習/小説】テーマ:片思い/400字詰め原稿用紙20-30程度。タイトルの評判がかなり良かった作品です。

YEAR 2020

「諦めなければ夢は必ず叶う」って最初に言った人、それを信じて後世にまで語り継いでしまった人、今すぐ名乗り出てください。私みたいな愚か者が馬鹿正直に信じちゃう前に、誰か私に教えてください。無理なものは無理なんだって。努力をしても叶わない願いもあるんだ、って。

 

ハンバーガー屋さんでのバイトが終わって家に帰ると、油っこい匂いが染み付いた服を脱いで外に出られる服に着替え、髪をしっかりとブラシで梳かしてから飼い犬のサリーに服を着せた。いつもは朝にするはずの散歩だったが、今朝は慌ただしくて夕日が落ち掛けるこの時間に行くことにした。

サリーと散歩をしていたら、商店街の入り口付近にある薬局の透明なガラス壁から、中学生の頃に好きだった、いや、正しくは中学生の頃から現在進行形で好きな人の姿が見えた。

今日、バイトがあってよかった。普段は最寄りを眼鏡やコンタクトを付けずに歩くので、もしすれ違ったとしても彼を見つけることはできなかっただろう。急いでサリーを抱えて、薬局を見てても怪しまれないよう、近くの電柱に駆け寄る。

中学を卒業して六年ぶりくらいに実物を比較的近距離から見たが、私が彼を見間違うはずがない。背は伸びて(それでも私と同じくらいだけど)、髪型はあの頃のまま。中学の頃と違うのはスポーツブランドのTシャツにハーフパンツ、という格好じゃなくて、真っ白のカットソーに黒スキニーを合わせてイマドキっぽい服装をして、首元でだっさいネックレスが揺れている。

ネックレスとか付けるようになっちゃったんだ、とはじめは残念に思ったが、中途半端に垢抜けきれていないところが私の中で抱いていた解釈と合致していたのでだんだん微笑ましくなった。ちなみに、彼を見つけてから微笑むまで、時間にするとわずか十秒ほどのことだ。サリーが私の顔を見て、こてん、顔を傾けた。サリーはまだバブちゃんだから気づかなくていいよ、と思いながら優しく頭を撫でる。

視線を彼の方に戻す。薬を受け取った彼が外に出るところだった。今見つかるわけにはいかない。さっと後ろを向いた。自動ドアが開く音、彼の足音、自転車の鍵を外す音、後輪のスタンドを蹴る音、カゴに袋を入れる音。全神経を耳に集中させて、見えないながら彼の動きを感じ取った。チリチリチリ、と車輪の回る音がしてきた。彼が移動する方向を確認するために振り返る。

 

彼はママチャリを漕いでいた。

 

薬局から数十メートル、駅に隣接した幼稚園がある。彼は駐輪場にママチャリを停めた。青い布に大きな白い星がたくさんプリントされている毛布がチャイルドシートから見える。ダサいけど、子供は星型好きだよね。

サリーを道に降ろし、幼稚園の方へ歩き始めた。彼のことをずっと思ってたのに、そんな悲痛な出来事ある?とか、怖いもの見たさとか、子供の姿を見たら踏ん切りがつくかも、とか、まだ大学生なのに、同級生がすでに子持ち?とか、いろんな思考が頭の中を巡っている。今すれ違っても、もしかしたら向こうは私のこと覚えていないかもしれないし、急に全てがどうでもよくなってしまった。

幼稚園から、まだ年少さんかな、とても小さくて可愛らしい、彼と同様に二重の女の子を連れて駐輪場まで彼が戻ってくるのが見えた。彼は優しく笑いながら女の子を抱えてチャイルドシートに乗せた。後輪のスタンドを蹴って、自転車に跨る姿を見る。数回足で地面を蹴って、そのまま自転車を漕ぎ始める。

「いぬ!」

女の子の声が近くで聞こえた。

「かわいいね」

久しぶりに聞いた、少し掠れた、私の大好きな声。気づいて欲しくなかったけど、本当は気づいて欲しかった。喉元まで欲が出か狩るのをぐ、と飲み込む。そのまま私に気づくこともなく、彼は自転車を漕いで行った。

 

ぼうっと家まで歩き、犬の服を脱がせてゲージにいれてから部屋に戻り、ベッドに倒れ込んだ。初恋は叶わない、って言うけどさ。二度目の恋も叶わないものなんですか、人生って。仰向けになってスマホをいじる。メッセージアプリを開いてトーク欄の一番上、『永友』をタップする。「永友」は「永遠にズッ友」の略で、私が中学生の頃に作った幼馴染二人と話すためのグループだ。

『本日ながとも緊急集会いいですか(なみだ)』

メッセージを送ると、すぐに既読がつく。まみからはキャラクターがOK!と言っているスタンプ、葵からは『桶』と返事が来た。

彼にフラれたら、なんてあんまり考えないようにしていたけど、漠然と、泣いたりするのかな、と思っていた。実際は告白することもなく、ただ子持ちの男にいつまでも片思いなんかしていいわけない、と自分を宥めるばかりで泣く暇なんてなかった。

しちじ、とメッセージを送り、近所の焼き鳥屋に電話を掛ける。私から声をかけることが多いので、三人分の席を予約するのはいつも私の役目だった。

地元は小さな街だけど、大きな公園が近くにあって、新宿と渋谷に電車やバスで二十分以内でいけるというなかなかの好立地で、ほとんどの同級生が一人暮らしをせず実家から大学に通っている。そのため、今日みたいに商店街で昔の同級生とすれ違うことも多々あるし、こうして信頼できる友人とすぐに集まることができる。切ないやら、ありがたいやら。

二人と焼き鳥屋で集まるためにわざわざメイクなんかしない。顔を洗って少しだけサッパリした。

 

「予約していた吉原です」

お店に入って名前を告げると、馴染みの店員さんが奥のボックス席を案内してくれた。二人が来るより早くレモンサワーを注文して待つ。普段はあまり飲酒をしないが、今日は飲まなきゃやってられない。なんでもいいからとにかく彼について考える、という行動から逃げたかった。

レモンサワーをごく、と飲み込む。炭酸が喉を潤す気持ち良さと、アルコールの苦味がいつも以上に染みる。

「お待たせ」

葵が私の前に、その隣にまみが座る。二人が着いてから、おかわり自由の枝豆がきたので塩を無心で振り掛けた。

「流石に掛けすぎ。で、今日はどうしたの?」

おしぼりで手を拭きながら葵が言う。

「緊急集会ってわざわざ言うの初めてだね〜」

と、メニューを見ているまみ。

「二人の飲み物きてからにしよ」

 

ハイボールと柚子サワーがきた。三人でグラスをかちん、と合わせる。みんなで一口飲み込んでから、グラスをコースターの上にどんと勢いよく置いた。

「沢村、ママチャリ漕いでた!」

がやがやと騒がしい店内に馴染むくらいの大きさの声で言う。目の前にいる二人はぽかんとした顔をしている。

「は?それがどうしたの」

「えっと、沢村が、パパになってたってこと」

慌ててわかりやすく言い換える。

「沢村くんって、小学校一緒で二人は中学も一緒だった人?」

枝豆をつまみつつ、まみが聞いてくる。

「そう。柚月は中学生の時から男は沢村のことしか見てなくてさ。それで、沢村がパパになってたって?」

ハイボールを飲みつつ、一緒に過ごした時間の長い葵がまみに要約してくれる。

「今日サリーの散歩してたら、薬局で沢村を見かけて。そのまま沢村の動きを追ってたら、ママチャリ押してすぐそこの幼稚園に年少くらいの女の子迎えに行ってて、チャイルドシートに乗った娘ちゃんがサリーを見ていぬ!って、沢村がかわいいねって言って目の前通り過ぎて行ったの」

アルコールのせいかいつもより早口で、文章をうまく構成できないまま脳直で話してしまう。一気に言葉を吐き出すと少し気分が良くなった。料理もいくつか注文しつつ、話を続ける。

「へえ。いま年少くらいってことは三、四歳でしょ?どうかな、沢村が未成年で子供を作るようなタイプの男だとは思えないけど」

「そうだね。人違いか歳の離れた妹とか、そういう可能性もあるかもしれないよ」

人違い、はあり得ない。私が彼を見紛うことはないから。歳の離れた妹、か。それももしかしたらあり得るかもしれない。いろんな可能性になやまされるくらいなら真っ先に左手の薬指を確認すればよかった。さっきの私は冷静さを欠いていたのだろう。

「ていうか、そんなに気になるならSNSのアカウントから探ればいいじゃん。結婚してたり子供がいたりするなら、何かしら投稿してる筈でしょ」

その通りだ。言われなくても普段から彼のSNSアカウントはよく確認していたし、同級生の近況報告のストーリーや投稿に彼の顔が写っていたり、彼と思わしき人物の体が写っているのを見つけたりするたびにスクリーンショットを撮って保存してきた。彼のツイッターのアカウントは鍵垢で、私にフォロー許可をしてくれた高校一年の頃からフォローが返ってきたことはない。私のツイートは見られていない方がありがたい。

ただ、彼はアカウントを持っているだけで年始に「あけましておめでとうございます」と呟く以外に全く更新がない。

インスタのアカウントも鍵垢だが、なぜかそっちはフォローが返されたのでストーリーの閲覧者の一覧に彼のアイコンが稀にあるのを見るたびどきりとする。ちなみに彼はストーリーを更新しないし写真も滅多に投稿しない。タグ付けされている写真まで隈なく保存するが、それも時間が経つと非公開にしてしまう。インターネットに自分の形跡をあまり残そうとしないさっぱりとした感じが、やっぱり私とは違って魅力的に思えた。

「それはそうなんだけど……」

流石にネトストまがいのことをしているとは永友の二人にも言えなかった。

「もうなんか、気になってどうしようもないなら本人に直接聞くのが一番だよ。今日たまたま見かけたんだけど、ってメッセージ送るのはどう?」

落ち着いている人間からは建設的な提案が出てくるな、と思う。二人はお酒が好きだし、アルコールに強くもあるので気持ちよくお酒を飲みながら身になる意見をくれる。相談役として頼もしすぎる。

「そうね、そうしようかな。ありがとう。さっきはちょっとどうかしてた」

店員さんが串焼きをたれと塩の皿に分けて運んできた。焼かれた肉の焦げ目が美味しそうなのと、甘いタレの匂いと気が抜けたせいでお腹が鳴った。

「沢村の話は一旦置いといて、食べよっか」

「いただきます」

「わーい」

一本目はぼんぢりの塩。ぷりっとした食感と、噛むごとにじわあ、と口の中で広がるあぶらと塩胡椒の加減がたまらなくいい。美味しいものを食べると心は健やかになる気がする。一時的なものかもしれないけれど。

「んー今日の焼き加減いいなあ」

「柚月は常連さんだもんね、今日は美味しい日?」

「美味しい日!」

「柚月ちゃんが美味しいって言うなら本当に美味しいんだろうな、私も食べよ」

 

それぞれの近況報告、最近身の回りで起こった面白い出来事やハマっているものの話をする。時々意味もないのに特定の単語が面白く聞こえてきたり、笑いがとまらなくなったりする。三人ともそれぞれ趣味が違うのにずっと仲良くいられる空気感が心地良い。

 

「あ、そういえば沢村にメッセージ送った?」

程よくお酒がまわってきて気分の良さそうな葵が言った。私はカルピスソーダを飲んでから返事をする。

「まだ!ていうか、突然メッセージ送る勇気ない」

「一々気にしてたって何も変わらないよー」

酔っ払いの一言がぐさっと心に突き刺さる。言われなくたってそんなことわかってるんだよ。彼のことを眺めるばかりで実際何の行動も起こさなかったから、今も彼のことをぜんぶ知らないくせに、想像で補完して私の中で『理想の沢村』像を作り上げて、それをずうっと恋だと自分に言い聞かせているということも。

「今なら私たちもついてるし、送りなよ」

確かに、一人でメッセージを送って返事がこなくて落ち込むより、ダメだった!って二人に見守られていた方が傷は浅い気がする。ええい、ままよ。

「わかった、送る」

『お久しぶりです。今日、商店街で沢村くんっぽい人を見かけました。小さい女の子乗せて自転車漕いでた?』

「これが限界」

「まあ、いいんじゃない?ちょっとキモいけど」

「ちょっと!」

「き、キモくないよ大丈夫だよ。柚月ちゃんらしくていい感じだと思う!」

「それ、微妙にフォローになってないよ!えっ、もしかして私ってキモいの?あっ。既読」

「やったじゃん」

ぽん、ぽん、と通知が鳴る。

『久しぶり。』

『漕いでた 笑』

短い文章を一々送ってくる、別に面白くもないのに最後に笑をつける、中学の頃と一緒だ。

「いや、漕いでた。ってなんだよ。それだけかよ」

「淡白だね」

彼のそういうところがいいんじゃない。彼と連絡を取っているという事実だけで嬉しくなってしまう。一緒にいた女の子とはどういう関係だったんだろう。いま、何が好きなんだろう。お付き合いしている方はいますか。私のこと覚えてますか。言いたいこと、聞きたいことが沢山あって、彼への思いが実体を持っていたら、今頃溺れ死んでいるか、頭を打って死んでいるんじゃないか、と思う。

最後に彼と連絡を取ったのは中学の卒業式の日のことだった。

『ボタンをください。』と勇気を出して送ったものの、『ごめん、全部取られた。』と言われ、少し悲しかったけれど、最後に思い出が欲しくって『謝恩会で一緒に写真を撮ってくれませんか。』と送り、『いいよ 笑』と返事をもらった。一生忘れない、今もお気に入りフォルダの中にある、彼と私のたった一枚しかないツーショット。爽やかな笑顔の横で、緊張でぎこちないピースと照れた私の顔。

 

「柚月ちゃん、回想入ってる?」

「おーい、柚月。このままじゃ何も変わんないよー」

「う、うるさいな。どうしたらいいかわかんないよ……」

「いや、女の子のこと、一番気になってるでしょ」

「あ、ああ」

『後ろに乗せてた子は沢村くんのお子さんとかですか?』

メッセージを送るとすぐに、相手が文章を打っていることを表すふきだしが出てくる。

『吉原ってそういう冗談言うタイプなんだ』

冗談、だなんて、こっちは情緒がめちゃくちゃになったって言うのに。

『りこ。兄貴の子。今日は俺が迎えに行ったってだけ』

「沢村の子じゃなかった……!」

「おー」

「歳の離れた妹だった?」

「お兄さんの子だって……」

とにかく子持ち疑惑が晴れたことに安心する。強い炭酸が欲しくてジンジャーエールを注文した。

「このまま会う約束とか取り付けちゃえば」

「そうだよ、会話のきっかけゲットしたからチャンスだよ」

「いや、会えんて!可愛くなるまで会えんて!」

「それ言い続けて五年くらい経ってるよね?しかも柚月めちゃめちゃダイエット頑張って自分に合うメイクとか服装も研究してたでしょ。まだ足りないの?」

「う、ぐ、どうも、ありがとうございます」

「柚月ちゃん、相変わらず卑屈で変わんないなあ」

「憎めない奴だよ、まったく」

「じゃあ、あの、メッセージ送ろうと思うけど、私男の人を遊びに誘ったことがなくて、本当になんて言ったらいいかわかんないんだけど……」

「私に貸してみ」

『今日、姪っ子ちゃんと一緒にうちの犬見て可愛いって言ってくれてたよね』

「こっからじわじわ会話を続けていきな」

「葵、ありがとう……」

サリーの散歩、珍しく夕方に行ってよかった。慌ただしかった朝にこんなに感謝する日が来るなんて。

『あ、みた。黒に白眉のいぬ?』

『そう!サリーっていうの』

『可愛かった。』

「ちょっと、沢村と頑張って会話するから二人で楽しんでて!」

こんなワガママ、二人にしか通用しないな、と思う。

サリーのこと、ちゃんと見て、可愛いって行ってくれたんだ。嬉しさがこみ上げてくる。私のことを全然見てなかったとしても、愛犬を褒められると自分のことのように喜べる。

『今度、一緒に遊びませんか?』

もう、送っちゃえ。多分今日言えなかったら一生言えないだろうから。

『あ、彼女とかいたら全然断ってもらっても構わないです』

付け足して送る。彼に今恋人がいるかどうか知るチャンスだ。

『いいよ笑 ていうか、なんでずっと敬語?』

『あと、彼女はいません。ずっと男子校だったので』

もう死んでもいいかも、いや、実際に会うまで死んじゃダメだ。諦めなければ夢は必ず叶う、は本当にあるかもしれない。しぶとく思い続けること、行動を起こすことが夢を叶える鍵なんだ。(タイミングと環境も影響していると思う。)あれ、今私めちゃめちゃスピリチュアル信者みたいなこと思ってる?

「ねー!今度会ってくれるって!これってデートしてくれるってことだよね!」

テーブルをばんばん叩いて二人に報告する。

「よかったじゃん」

「祝い酒しとく?」

「それじゃあ私のデートプラン、聞いてもらってもいいですか?」

“沢村としたいことリスト”を二人に見せる日が来るなんて。もしかしたら、私のながい片思いにはもうすぐ終わりが来るかもしれない。一日でも早く終わらせて、両思いを始めるために私にできることはなんだろう。正解はわかんないけど、彼を彼氏と呼べるように、健やかに毎日を過ごせますように。

キンキンに冷えたハイボール三杯テーブルに置かれる。三人で一杯ずつ持ち上げる。

「柚月の初デートの健闘を祈って!」

葵の音頭に合わせる。

「乾杯!」

カチン!小気味好い音が鳴る。しゅわしゅわの喉越し、甘さの中に潜む苦味もたまには結構いいじゃない。