【ずんだもん:サンプル】波乱万丈!?世界的アーティスト葛飾北斎の生涯とは!?

OVERVIEW

9500~11,000文字ほどのライティング内容 自構成を考えプロンプト作成 ⇒ AIによる生成 ⇒自分で目を通し添削 ずんだもん・きりたんの掛け合いによる歴史上の人物解説


9000~11,000文字ほどのライティング内容

自身で話の柱となるエピソード、構成を考えプロンプト作成 ⇒ AIによる生成 ⇒自分で目を通し添削

上記の手順で作成。

中高の社会科教員免許を持っており、実際に4年間高校で日本史・世界史・地理を教えておりました。その際に生徒の興味関心を引くワードやエピソーを調べておりますので、その知識をYouTube台本やライティングに落とし込んでます。


【台本の内容】

• 振り返り: きりたんが「生い立ち」「功績」「人間性」の3つのポイントを簡潔に要約。

• 学んだことの表明: ずんだもんが「孫の借金の話」を挙げ、自分の言葉で感想を表現。

• 現代への影響と学び: パスポートのデザインという具体的な例を出し、現代との繋がりを示唆。「好きを貫く強さ」や「学び続ける姿勢」といった、視聴者へのメッセージで締めくくり。



ステップ1:導入

【動画冒頭、ポップなBGM】

テロップ:『生涯引っ越し93回!?天才絵師の奇妙な人生』

ずんだもん:ふー、、、僕のずんだ餅事業もようやく軌道にのりだしたし、そろそろこのおんぼろアパートから引っ越しでもするのだ!休みの日に不動産でも行って、物件さーがそ♪


ずんだもん:(不動産屋にて)うん、ここなら今の僕にふさわしい住まいなのだ!ここに決めたのだ!……どれどれ初期費用はっと…。ぎょえー!!こ、こんなにするのだ!?こんなの僕の貯金全部ないなってしまうのだ…(泣)

せめて引っ越しはなんとかせねば…。(小声で)引っ越しもお金がかかって面倒だし…暇そうなやつ捕まえて、手伝ってもらうのだ。


きりたん:(呆れた顔で)……で、私が呼ばれたってわけ?


ずんだもん:(困り顔で)すまんのだ!引っ越しの費用がどうしても足りなくなって(泣)


きりたん:そんなんなるなら、引っ越しなんてしなければいいのに…(呆れ)


ずんだもん:うう…。賃貸の初期費用のこと忘れていたのだ…。報酬はずんだもちでしっかりとお支払いするのだ!


きりたん:普通の食事にしてよ、まったく。はいはい、手伝うから一緒にダンボール詰めからやっていくわよ。


ずんだもん:やったー!!やはり持つべきものは(小声)暇そうな (通常)友達に限るのだーーー!!


きりたん:はあ、まったく。何か小声で聞こえた気がするけど…。荷物多いんだから、ちゃっちゃとやっていきましょうね。


(数時間経過)

ずんだもん:はあはあはあ…。めっちゃ疲れたのだ、荷物多すぎなのだ。これ車に積み込んで、引っ越し先まで運ぶとなると………。(根を上げた声)キュウ (床に白目向いて倒れる)バタッ!


きりたん:まったくもう、情けないわね。自分で引っ越し手伝ってって言っておいて。


すんだもん:すまんのだ、きりたん。人生初の引っ越しでつかれたのだ。いったん休憩挟むのだ!


きりたん:そうね、そろそろ休憩にしましょうか。あ、そうだずんだもん。引っ越しといえば、生涯で93回も引っ越しをした江戸時代の絵師がいるんですが、誰だか分かるかな?


ずんだもん:(元気よく、驚いた様子で)ええっ!?きゅ、93回なのだ!?

2年に1回以上引っ越してる計算なのだ!そんな落ち着きのない人、誰なのだ!?


きりたん:ふふっ、そうだね。じゃあ、休憩がてらその天才浮世絵師、「葛飾北斎」について解説してあげようかしら。

【画面に葛飾北斎の肖像画と代表作「神奈川沖浪裏」が大きく表示される】


ずんだもん:あー!葛飾北斎!名前は聞いたことあるのだ!このザッパーンってなってる波の絵、なんかで見たことあるのだ!でも、この絵を描いた人が93回も引っ越したなんて、全然知らなかったのだ…。日本で有名な画家さんなのだ…??


きりたん:お、珍しくいい質問だね、ずんだもん。葛飾北斎は、ただの「波の絵が上手な江戸時代の人」じゃないんだ。彼の描いた絵は海を渡り、遠くヨーロッパの画家たちにまで大きな影響を与えた。例えば、かの有名なゴッホやモネといった印象派の巨匠たちも、北斎の作品に衝撃を受け、自身の作品に取り入れたほどなんだよ。

ずんだもん:ゴッホ!?あの「ひまわり」のゴッホなのだ!?

そんなすごい人に影響を与えたなんて、北斎って世界レベルのスーパーアーティストだったのだ!


きりたん:その通り。彼の作品は海外で「ジャポニスム」という一大ムーブメントを巻き起こし、世界の芸術の歴史を変えたと言っても過言ではないんだ。

しかも、すごいのはそれだけじゃなくて…


ずんだもん:まだあるのだ!?


きりたん:うん。彼は90歳という、当時としては驚異的な長寿を全うするまで、生涯現役で絵を描き続けた。そして自らを「画狂人」、つまり「絵を描くこと以外に興味がない狂人」と名乗るほど、エキセントリックで面白い人物だったんだ。


ずんだもん:が、画狂人!自分で言っちゃうのが面白いのだ!すごい絵を描くだけじゃなくて、人間としてもメチャクチャ気になるのだ!


きりたん:でしょう?それじゃあ、そんな世界的アーティストでありながら、超個性的な人物・葛飾北斎の魅力に迫って行くわね。

彼がどんな時代に生まれ育ったのかという**「生い立ち」。

「富嶽三十六景」をはじめとする彼の作品がなぜ世界を魅了したのか、その「功績」。

そして最後に、93回の引っ越しの真相や、彼の意外な素顔に迫る「苦難や人間性」。

この3つのパートに分けて、分かりやすく解説していくよ。


ずんだもん:おおー!北斎の全部が分かるスペシャルコースなのだ!引っ越しの謎も解けるなら、絶対見逃せないのだ!


きりたん&ずんだもん:それでは、さっそく本編をどうぞ!


【BGMが盛り上がり、次のシーンへ】







ステップ2:生い立ち


【シーンチェンジ、江戸時代の町のイラストを背景に】

きりたん:さて、ここからは北斎がどんな人生を歩んだのか、その**「生い立ち」**から見ていこうか。


ずんだもん:待ってましたなのだ!画狂人の誕生秘話、気になるのだ!


きりたん:葛飾北斎が生まれたのは、今から260年以上前の1760年。江戸時代の真っただ中だね。場所は江戸の本所割下水、今の東京都墨田区あたりだよ。

【画面に江戸の町の浮世絵風イラストと、地図で墨田区の場所が示される】


ずんだもん:1760年の江戸って、どんな感じだったのだ?みんな、ちょんまげを結って刀を差してたのだ?


きりたん:うん、武士はそうだったよ。当時の江戸は、暴れん坊将軍でおなじみ8代将軍・徳川吉宗の享保の改革が終わって、少し落ち着いてきた頃。

商業がすごく発展して、私たちのような庶民、つまり町人が文化の主役になった時代なんだ。歌舞伎や相撲が人気で、そして「浮世絵」も、みんなが気軽に楽しむ一大エンターテインメントだったんだよ。


ずんだもん:へぇー!じゃあ、浮世絵師は今でいう超人気イラストレーターとか、漫画家みたいな感じだったのだ?


きりたん:うん、まさにそんな感じだね。人気絵師の新作は、みんなが待ちわびていたんだ。そんな時代に北斎は生まれたんだけど、彼の家はちょっと特殊でね。

幕府の御用達、つまり将軍様が使う鏡を作る「鏡師」っていう、エリート職人の家だったんだ。

ずんだもん:おおっ!勝手になんか身なりを気にせず破天荒な、庶民って感じを想像してたけど…。じゃあ、北斎ってお坊ちゃんだったのだ!?

なんか画狂人ってイメージとは違うのだ…。


きりたん:ところが、そう単純な話でもなく、実は北斎はその家に生まれた実の子ではなくて、養子だったという説が有力なんだよ。誰の子だったのか、はっきりした記録は残っていないんだ。


ずんだもん:ミステリアスなのだ…。じゃあ、子供の頃はどんな子だったのだ?やっぱり、そこら辺の壁に落書きしまくって、親を困らせるようなヤンチャ坊主だったとか…?


きりたん:ふふっ、どうだろうね。イメージにはぴったりだけど。

北斎自身が後になって語ったことによると、「6歳の頃から、目に見えるものの形を何でも絵に写し取っていた」そうだよ。生まれつき、絵を描くことが大好きでたまらない、根っからの「絵描き小僧」だったみたいだね。


【幼い北斎が夢中で絵を描いているイメージイラストが表示される】


ずんだもん:6歳!僕がずんだ餅をこねて、新しい必殺技(ずんだアロー)を開発してた頃に、もう絵の才能が爆発してたのだ!さすが画狂人の卵なのだ!


きりたん:(………ずんだアロー??)小声でしゃべり、困り顔

でも、すぐに絵師としてデビューできたわけじゃないんだ。

10代の前半は、貸本屋さんの丁稚、つまりお店の手伝いをしたり、木版画を彫る「彫師(ほりし)」の工房に弟子入りしたりして、下積みを経験したんだよ。


ずんだもん:絵師になりたいのに、彫師の見習いをやってたのだ??

それって、野球選手になりたいのに、サッカーボールを磨いてるみたいな感じなのだ?


きりたん:(少し呆れながら)

うーん、ちょっと違うかな…。以外かもだけれど、当時の浮世絵は、一人の作家が全部作っていたわけじゃないんだ。

まず、

①絵を描く**「絵師」がいて、

②その絵を木の板に彫ってハンコ(版木)を作る「彫師」がいて、

③最後にそのハンコに色を付けて紙に摺る「摺師(すりし)」**がいる。

この三者のチームプレイで、一枚の浮世絵は完成するんだよ。


【絵師→彫師→摺師の流れを説明するアニメーション】


ずんだもん:おお、なるほどー!ほんとに協力プレーで現在の漫画家さんみたいなのだ!!

絵を描く先生だけじゃなくて、一緒に作品のアイディアや方向性を決めていく担当の編集さんと、背景とかを書いたりするアシスタントっていうメンバーがいてこそ、最高の作品が生まれるのだ!


きりたん:うん、その例え、分かりやすいね。北斎はこの彫師の見習いを経験したことで、版画がどういう仕組みで出来ているのか、どうすれば面白い線や表現が彫れるのかを、体の芯から理解できたんだ。

この経験が、後々、他の絵師には絶対に真似できないような、革新的な表現を生み出すための、彼の最強の武器になるんだよ。


ずんだもん:ただ絵が上手いだけじゃなくて、技術のことも知り尽くしていたから、あんなすごい絵が描けたのだな!


きりたん:その通り。そして19歳の時、ついに彼の才能が花開く時が来るんだ。

当時の人気ナンバーワン浮世絵師の一人、勝川春章(かつかわ しゅんしょう)の門下生になることが許されたんだよ。


ずんだもん:おおー!ついに弟子入り!人気漫画家のアシスタントに決定なのだ!


きりたん:そうだね。そして師匠から「春朗(しゅんろう)」という名前をもらって、絵師「勝川春朗」として、ついにデビューを果たすんだ。


ずんだもん:デビューおめでとうなのだ!…って、あれ?名前が「葛飾北斎」じゃないのだ?春なんとかって…誰なのだ?


きりたん:いいところに気づいたね、ずんだもん。実は北斎、導入で話した引っ越しと同じくらい、名前もコロコロ変えているんだ。その数、生涯でなんと30回以上。


ずんだもん:さ、30回!?引っ越し93回に、改名30回!?

もう、わけがわからないのだーっ!この人、落ち着きって言葉を知らないのだ!?


きりたん:ふふっ、それこそが北斎という人物の面白さなんだよ。


【背景に北斎の名前の代表的なものを複数記載】

ともあれ、こうして絵師としての第一歩を踏み出した北斎。でも、彼の前には様々な困難が待ち受けているんだ。

次は、いよいよ彼の代表作とそのすごさについて見ていこうか。











ステップ3:北斎の功績

【シーンチェンジ、北斎が様々な画風の絵を描いているイメージ映像】

きりたん:さて、絵師「勝川春朗」としてデビューした北斎だけど、実はここから長い長い下積みというか、試行錯誤の時代が続くんだ。

ずんだもん:えっ、すぐに大ヒットしたわけじゃないのだ?

きりたん:うん。彼は師匠の画風に飽き足らず、他の流派の絵をこっそり学んだりしていたんだ。それが師匠の勝川春章にバレてしまって、「出ていけ!」と破門されてしまうんだよ。

ずんだもん:うわー!いきなりフリーランスになっちゃったのだ!それは大変だったのだ…。

きりたん:そうだね。そこからは狩野派や琳派といった日本の伝統的な絵画から、西洋画の遠近法まで、ありとあらゆる技術を貪欲に吸収していくんだ。まさに画風の武者修行時代だね。そして、そんな彼が70歳を過ぎてから、ついに日本中を揺るがす大傑作を生み出すんだよ。

ずんだもん:70歳!?そんなおじいちゃんになってからホームランを打ったのだ!??

もしかして、それが…!

きりたん:その通り。彼の名を不滅のものにした代表作、**『富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)』**だよ。

【画面に「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」が大きく映し出される】

ずんだもん:出たー!ザッパーンのやつなのだ!知ってるけど、これの何がそんなに革命的だったのだ?

きりたん:いい質問だね。この『富嶽三十六景』のすごさは、大きく3つあるんだ。

まず1つ目は、「風景画」を主役にしたこと。

ずんだもん:風景画が主役?どういうことなのだ?

きりたん:当時の浮世絵の売れ筋は、今でいうアイドルのブロマイドみたいな「美人画」や、人気俳優のポスターみたいな「役者絵」だったんだ。つまり、「人物」が主役だったんだね。

風景は、あくまで人物を引き立てるための背景に過ぎなかった。

でも北斎は、富士山という「風景」そのものをドーンと主役に据えて、様々な場所から見た富士山の姿を描いたんだ。これが江戸の人々にとって、ものすごく新鮮だったんだよ。

ずんだもん:なるほど!イケメン俳優の写真集ばっかりだった本屋さんに、いきなり世界の絶景だけを集めた豪華な写真集が置かれて、それがバカ売れしたみたいな感じなのだ!

きりたん:(くすっと笑いながら)うん、そんな感じだね。すごさの2つ目は、誰も思いつかないような「斬新な構図」。この有名な「神奈川沖浪裏」を見てみて。主役は富士山のはずなのに、一番大きく描かれているのは、今にも船を飲み込もうとする巨大な波だよね。

ずんだもん:本当だ!富士山、波の向こうにちっちゃくいるのだ!

主役より目立ってる脇役みたいな感じなのだ!

きりたん:そうなんだ。普通なら富士山を一番大きく描くところを、あえて波を主役級に描くことで、絵にものすごいダイナミズムと緊張感を生み出しているんだ。

他にも、大きな樽の枠の中から富士山を覗いた構図とか、人々の生活の営みの向こうに富士山を描いたりとか、彼のデザインセンスは天才的だったんだよ。

【画面に「尾州不二見原」など、構図の面白い他の富嶽三十六景の絵が表示される】

ずんだもん:うわー!本当に面白い構図ばっかりなのだ!

こんなアングル、普通思いつかないのだ!

きりたん:そして、すごさの3つ目が、「ベロ藍」という最新技術を使ったこと。

ずんだもん:ベロ藍?なんか強そうな名前なのだ!必殺技なのだ?

きりたん:ははは、違うよ。これは当時、オランダから輸入され始めたばかりの、新しい化学顔料の名前なんだ。英語だと「プルシアンブルー」だね。

この絵の具は、それまでの日本の藍色とは比べ物にならないくらい、鮮やかで美しい青色が出せたんだ。

ただ、輸入品だからすごく高価でね。でも北斎は、この高価なベロ藍を大胆に使って、生き生きとした空や海の青を表現した。この鮮烈な「北斎ブルー」が、江戸の人々の心を鷲掴みにしたんだよ。

ずんだもん:最新の画材を使いこなして、誰も見たことがない作品を作ったのだ!

北斎は新しいもの好きのミーハーだったのかもしれないのだ!

きりたん:そうかもしれないね。この『富嶽三十六景』は空前の大ヒット作になって、当初はタイトルの通り36枚で終わる予定だったのが、あまりの人気に「もっと描いてください!」と注文が殺到してね。最終的に10枚が追加されて、全46枚のシリーズになったんだ。

ずんだもん:富嶽三十六景なのに46枚!完全にタイトル詐欺なのだ!

でも、それだけみんなが北斎の富士山に夢中になったってことなのだな!

きりたん:その通り。そして、北斎の功績はこれだけじゃないんだ。

もう一つ、世界に大きな影響を与えた作品がある。それが**『北斎漫画』**だよ。

【画面に『北斎漫画』の様々なページが映し出される】

ずんだもん:漫画!僕も大好きなのだ!

北斎先生の次回作、楽しみにしてたのだ!どんなストーリーなのだ?画狂人が世界を救う話なのだ!?

きりたん:残念ながら、今の私たちが知っているストーリー漫画とは違うんだな。

これは「絵手本(えでほん)」、つまり、弟子や絵を学びたい人たちのための、絵の描き方マニュアルなんだよ。

ずんだもん:なーんだ、教科書なのだ…。

きりたん:でも、ただの教科書じゃないんだ。笑う人、怒る人、踊る人、相撲を取る人…。動物、魚、鳥、虫、さらには妖怪や幽霊まで。この世のありとあらゆるものが、ユーモラスで生命感あふれるタッチで描き尽くされているんだ。

全15編、総ページ数は4000ページにも及ぶ、まさに江戸時代の「ビジュアル大百科事典」なんだよ。

ずんだもん:よ、4000ページ!?すごすぎるのだ!

これを見れば、どんなポーズでも描けちゃいそうなのだ!

きりたん:そう。そして、この『北斎漫画』が、実は日本国内よりも海外で高く評価されたんだ。19世紀のヨーロッパにこの本が渡ると、ゴッホやモネ、ドガといった印象派の画家たちが「なんだこの面白い絵は!」「日本の絵はなんて自由なんだ!」と、ものすごい衝撃を受けたんだよ。

ずんだもん:あのゴッホたちが、絵の教科書を見て興奮したのだ!?

きりたん:そうなんだ。彼らは『北斎漫画』に描かれた大胆な構図や、生き生きとした人々の動きを熱心に研究して、自分たちの作品に取り入れていった。

これが、ヨーロッパで日本ブームが起きる「ジャポニスム」という現象の、大きなきっかけの一つになったんだよ。

ずんだもん:『富嶽三十六景』で日本の人たちを熱狂させて、『北斎漫画』で世界のアーティストたちの先生になったのだ!

北斎、すごすぎるのだ…!

きりたん:そうだね。『富嶽三十六景』で日本の風景画に革命を起こし、『北斎漫画』で世界の芸術に道を示した。これが、葛飾北斎の最大の功績だよ。

でもね、こんな偉業を成し遂げた北斎だけど、その私生活は絵に描いたような成功者とは、ちょっと違ったみたいなんだ。

ずんだもん:えっ、そうなのだ!?いよいよ、あの93回の引っ越しの謎に迫っていくのだな…!ワクワクするのだ!

【BGMが少しミステリアスな雰囲気に変わり、次のシーンへ】

文字数:約2980字








ステップ4:苦難や人間性など

【シーンチェンジ、少しコミカルなBGM。散らかった部屋のイラスト】

きりたん:『富嶽三十六景』や『北斎漫画』で、歴史に名を刻んだ葛飾北斎。

でも、そんな偉大な功績とは裏腹に、その私生活はかなり破天荒で、トラブル続きだったんだ。

ずんだもん:待ってましたなのだ!いよいよ画狂人の変人エピソードが聞けるのだな!

まずは何と言っても、あの93回も引っ越した謎について教えてほしいのだ!

きりたん:うん、分かったよ。北斎が何度も引っ越した最大の理由、それは…彼が**「究極の片付けられない男」**だったからなんだ。

ずんだもん:ええーっ!?どういうことなのだ!?

きりたん:北斎は絵を描くことには天才的な集中力を発揮したんだけど、それ以外の生活能力はほぼゼロだったと言われているんだ。

特に片付けや掃除が大の苦手でね。部屋にゴミが溜まって、足の踏み場もなくなると、彼は掃除をしようとは考えなかった。

「ああ、汚くなったな。じゃあ、引っ越すか」って、家を捨てて次の家に移り住んだんだよ。

【ゴミで溢れかえった部屋で、平然と絵を描く北斎のイラスト】

ずんだもん:掃除するより引っ越しを選ぶって…どんだけズボラなのだ!

現代だったら、間違いなくゴミ屋敷の住人としてテレビに出ちゃうレベルなのだ!

きりたん:そうだね。これが93回という異常な引っ越し回数の真相だと言われているんだ。他にも、借金取りから逃げるためだった、なんて説もあるけどね。

とにかく、絵を描くこと以外には全く興味がない、まさに「画狂人」だったんだ。

ずんだもん:天才すぎて、他のことがどうでもよくなっちゃったのだな…。

でも、借金取りって言ったけど、北斎って貧乏だったのだ?あんなにヒット作を出したのに?

きりたん:うん。彼はお金の管理も大の苦手でね。稼いでも稼いでも、すぐどこかに消えてしまって、いつもお金に困っていたらしいよ。そして、そんな彼を最大の困難が襲うんだ。彼が60代後半の頃だったかな。

ずんだもん:ゴクリ…な、何があったのだ?

きりたん:娘の子供、つまり孫がとんでもない問題児でね。悪さを繰り返して、莫大な借金を作ってしまったんだ。そして、その借金の返済が、なぜかおじいちゃんの北斎に回ってきたんだよ。

ずんだもん:うわぁ…!一番キツイやつなのだ!真面目に働いてるのに、孫のせいで大金を払わされるなんて…可哀想すぎるのだ…。その時、北斎はどうしたのだ?

きりたん:ここが北斎のすごいところなんだ。普通なら絶望して、絵筆を折ってしまってもおかしくない状況だよね。

でも彼は違った。「こうなったら、絵を描いて描いて描きまくって、この借金を返すしかない!」と、逆に創作意欲を燃やしたんだ。

ずんだもん:逆境をバネにしたのだ!カッコいいのだ!

きりたん:そう。そして、この絶体絶命の状況から起死回生の一発大逆転を狙って生み出されたのが…何を隠そう、あの**『富嶽三十六景』**なんだよ。

ずんだもん:ええええええーーっ!?じゃ、じゃあ、あの世界的名作は、孫の借金返済のために描かれたものだったのだ!?

きりたん:そうだと言われているね。生活の苦しさ、お金の必要性という、非常に人間臭い理由が、あの芸術作品を生み出す大きな原動力になったんだ。

まさにハングリー精神が傑作を生んだんだね。

ずんだもん:なんだか、あの波の絵が、北斎の「やってやるのだー!」っていう叫び声に聞こえてきたのだ…!

きりたん:『富嶽三十六景』の大ヒットで、北斎は風景画の第一人者になるんだけど、そこに強力なライバルが現れるんだ。

それが、『東海道五十三次』で有名な**歌川広重(うたがわ ひろしげ)**だよ。

【画面に広重の「東海道五十三次 庄野 白雨」などが表示される】

ずんだもん:広重!歴史の授業で聞いたことあるのだ!北斎とはバチバチのライバル関係だったのだ?

きりたん:そうだね。ダイナミックで斬新な構図が魅力の北斎に対して、広重は雨や雪といった、しっとりとした日本の自然の風情を描くのが得意だったんだ。

二人は風景画のジャンルで人気を二分する存在で、北斎も広重のことはかなり意識していたみたいだよ。

きりたん:でもね、北斎を襲った困難は、これだけじゃ終わらないんだ。84歳の時、ついに彼にとって最大の悲劇が訪れる。火事で家が全焼してしまったんだ。

ずんだもん:えっ…!

きりたん:命は助かったんだけど、家財道具はもちろん、彼が何十年もかけて描きためてきたスケッチや研究資料が、全て灰になってしまったんだよ。

ずんだもん:そ、そんな…。絵師にとって命よりも大事なものが…。

もうダメなのだ…僕だったらショックでずんだ餅になるしかできないのだ…。

きりたん:ところが、北斎は諦めなかった。彼は燃え跡を前にして、「これで体が自由になった。財産がないから、ただ絵を描くことだけに集中できる」と言ったと伝えられているんだ。そして90歳で亡くなる直前、彼はこう言い残したんだよ。

**「天が私にあと5年の命をくれれば、本物の絵描きになれただろうに」**ってね。

ずんだもん:90歳まで描き続けて、まだ「本物の絵描きになりたい」なんて…。すごすぎるのだ…。画狂人の名前は、伊達じゃなかったのだ。

きりたん:そうだね。片付けはできないし、金銭感覚もゼロ。だけど、どんな逆境にも屈しない、燃えるような創作への情熱を持った人物。

そんな強烈な人間性こそが、葛飾北斎というアーティストを唯一無二の存在にしているんだよ。

【感動的なBGMが流れる】



ステップ5:まとめ

【シーンチェンジ、これまでのハイライト映像が流れる。エンディングのBGMが流れ始める】

きりたん:さて、ずんだもん。今回は世界的アーティスト、葛飾北斎の生涯を追いかけてきたけど、どうだったかな?

ずんだもん:うん!北斎のこと、よーく分かったのだ!最初はただの波の絵の人だと思ってたけど、全然違ったのだ!

きりたん:そうだね。振り返ってみると…貧しい生まれから彫師の見習いを経て絵師の道へ進んだ**「生い立ち」。

70歳を過ぎてから『富嶽三十六景』で日本の風景画に革命を起こし、『北斎漫画』で世界の芸術にまで影響を与えた「功績」。

そして、93回も引っ越すほどのズボラな変人でありながら、孫の借金や火事といった逆境にも屈しない、燃えるような情熱で90歳まで絵を描き続けた「人間性」**。

本当に、知れば知るほど面白い人物だったね。

ずんだもん:本当にそうなのだ!僕が一番「うわー!」ってなったのは、やっぱり孫の莫大な借金がきっかけで、あの『富嶽三十六景』が生まれたって話なのだ!

普通なら絶望しちゃうような大ピンチを、歴史に残る大チャンスに変えちゃうなんて…!

まさに「画狂人」って感じがして、カッコよくてシビれたのだ!

きりたん:ふふっ、本当にそうだね。そんな北斎の与えた影響は、もちろん現代を生きる私たちにも深く関わっているんだよ。

例えば、これを見てくれるかな。

【画面に日本のパスポートの査証(ビザ)ページの画像が表示される】

きりたん:これは日本のパスポートの査証ページなんだけど、実はここに『富嶽三十六景』の作品がデザインされているんだ。

ずんだもん:えええっ、本当なのだ!よく見ると、あの波の絵とか赤富士があるのだ!

じゃあ、僕たちが海外旅行に行くときって、北斎のミニ画集を持って世界を旅してるのと同じことなのだ!なんだかスゴイのだ!

きりたん:そうなんだよ。「HOKUSAI」は、今や世界で最も有名な日本人アーティストの一人だからね。彼の作品は、200年以上経った今でも、世界中のデザイナーやクリエイターにインスピレーションを与え続けているんだ。

ずんだもん:すごいなぁ…。北斎って、本当にタイムマシンみたいに時を超えて活躍してるのだな。

きりたん:そうだね。そして、私たちが北斎の人生から学べることは、たくさんあると思うんだ。

ズボラだったり、お金の管理ができなかったり、人間として完璧じゃなくてもいい。

たった一つ、燃えるような「好き」という気持ちがあれば、人はとてつもないパワーを発揮できるんだってことを、彼の人生は教えてくれるよ。

【夕日を背景に、絵筆を握る北斎の後ろ姿のイメージイラスト】

きりたん:そして、「あと5年あれば本物の絵描きになれたのに」と言い残した彼の姿は、何かを始めるのに、あるいは学び続けるのに、「もう歳だから」なんて言い訳は通用しないんだってことを、力強く教えてくれる気がするね。

ずんだもん:僕も、もっともっと美味しいずんだ餅を作るために、明日からまた研究を続けるのだ!画狂人ならぬ、「ずんだ狂人」を目指すのだ!

きりたん:(にっこりしながら)うん、その意気だよ、ずんだもん。


ずんだもん:というわけで、今回の解説はここまでなのだ!

動画が面白かったら、ぜひチャンネル登録と高評価をお願いしますなのだ!コメントも待ってるのだ!

きりたん:次回は、今回ライバルとして名前が挙がった、もう一人の天才風景絵師、「歌川広重」について解説しようと思います。

ずんだもん:おー!叙情の広重 vs ダイナミックの北斎!ライバル対決、絶対面白いのだ!

それでは皆さん、また次回の動画でお会いしましょうなのだ!

きりたん&ずんだもん:バイバーイ!

【画面が暗転し、エンドカードが表示される】

文字数:約1400字


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