God Bless You

OVERVIEW

写真・インスタレーション

YEAR 2019

『普通』の貴さを識る人々が、『普通』が一度失われた場所で『普通』を取り戻そうとする。

その道中にどうか幸運がありますように。





この作品群はムサビの卒業制作として提出したものです。

今年3月に常磐線の富岡~浪江間が復旧、常磐線は9年ぶりに全線で運転を再開しました。私はその情報を昨年8月に知りまして、ようやくここまで来たかと思ったのを覚えています。今まで一度も訪れたことがなく、テレビや新聞で伝えられるのは暗く人気のない街や除染土の入った黒袋が置かれた風景ばかり。しかし、本当にそのような風景ばかりなのだろうか。このような疑問を持ったので、卒業制作に福島県の浜通りを写真に撮ってみようと思いました。


実際に行ってみると、確かにそのような風景もありましたがそれ以外では普段どおりに人が生活しているのです。住民の方々は他の街で暮らすのと何ら変わりなく生活していらっしゃいました。ショッピングセンターのフードコートには多くの人が昼食を食べに来ていましたし、人通りは少ないものの車はそこそこ走っていました。その一方で津波によって流失した地域では嵩上げ工事の真っ最中でした。寒風吹き荒ぶ荒涼とした大地の上を大きなダンプカーがせっせと土砂を運んでは、ショベルカーとブルドーザーがその土を均し徐々に土地全体の高さを上げる。普段どおりの生活と復興の最前線が同居していて、ここが被災地であったことを強く実感しました。


撮影する時に気をつけたことは、「フラットに撮ること」と「明るい画を撮ること」です。

「フラットに撮ること」とは、可能な限り私情や意図を排除して撮影することです。もちろん私の目を通ってきているので完全にフラットには出来ません。しかしながら、先入観を持たずに撮影することによってよりその風景と対峙するといいますか、眼前の風景をそのまま伝えられると考えたので、このように撮っています。

「明るい画を撮ること」とは、被災地の写真にありがちな暗い感じの写真にしたくなかったのです。そういうものは皆さんもう嫌となるほど見ておられると思いますし、自分も嫌となるほど見てきたので可能な限り明るく撮っています。


この作品を展示するときには撮影場所で収録した環境音を展示空間に流し、目と耳の両方で福島の空気を感じてもらえるようにしました。写真を鑑賞しながら音に触れるというのはあまり例が無いらしく、講評の際に「新鮮だ」とか「面白い」という意見を頂戴しました。



自分は『普通』の人間と『普通でない』人間の間にいる存在だと、常々思ってきました。『普通』の中にいると感覚のズレから齟齬が生じやすく、『普通でない』中にいると自分の存在が希薄になっていく気がする、そんなどちらにもつけない中途半端な人間です。でも、『普通』と『普通でない』の間にいる人間であるからこそ撮れる画があるのではないかと思い、撮ったのがこの作品です。


それにしても、世間では『普通』であることを良しとする風潮がありますが、『普通』には個人個人で大小様々な違いがあるように感じています。『普通』って、何なんすかね?この作品を見て、『普通』ということを今一度考えるきっかけになってくれたら幸いです。